白井屋ホテル

Message
2016年7月。
このプロジェクトは、一人の設計担当者の静かな葛藤から始まりました。
大規模な商業施設という舞台の裏側で、設計担当者は常に二つの役割を同時に背負っています。
ひとつは、建築家として空間の完成度を追求すること。
もうひとつは、主宰に最終判断を仰ぐための「確かな根拠」を積み上げることです。
構想段階から、設計者の頭の中には明確なイメージがありました。
しかし、そのイメージはまだ言葉にも図面にもなりきらない、曖昧な輪郭のまま存在していました。
それをどのように説明すれば伝わるのか。
どこまで検証すれば「判断材料」として成立するのか。
主宰の前に立つとき、
「感覚」や「好み」だけでは通りません。
なぜこの素材なのか。
なぜこの寸法なのか。
なぜ他の選択肢では駄目なのか。
すべてに答えを用意しなければならない。
その準備は、誰にも見えないところで、設計担当者一人に委ねられます。
「ここまで詰めているのに、まだ足りないかもしれない」
「もっと検証しておくべきではないか」
「この判断は、本当に建築として正しいのか」
図面を閉じた夜、模型を前に立ち尽くす時間。
資料を何度も組み直し、説明の順番を考え直し、想定問答を頭の中で繰り返す日々。
それは誰からも評価されることのない、孤独な思考の積み重ねでした。
私たちがこの現場に関わり始めたのは、まさにその「準備の時間」のただ中でした。
設計者は、まだ確信を持ちきれない選択肢を前に、何度も問いを投げかけてきました。
「この質感は、主宰にどう見えるでしょうか」
「遠目で見たときの印象は十分でしょうか」
「人の動線の中で、説得力はありますか」
それは単なる製品相談ではなく、最終判断に耐えうる材料を揃えるための真剣な対話でした。
数々のモックアップを製作し、実寸での検証を繰り返し、光の入り方、距離感、視線の高さによる印象の違いまで細かく確認していく。
そのすべてが、主宰の前に立つための「武器」となっていきました。
やがて、設計者の言葉が変わっていきます。
「これなら、説明できます」
「これなら、判断していただけます」
その一言が出るまでに、どれほどの思考と迷いを重ねたのか。
私たちは、その過程をすぐそばで見続けてきました。
2020年、竣工。
完成した建築の床に立ったとき、そこには主宰の決断と、それを導いた設計担当者の準備のすべてが静かに刻まれていました。
この空間の完成度は、設計担当者が孤独の中で積み上げた判断材料の結晶であり、
その背後には、誰にも見えない「考え抜く時間」が確かに存在しています。
私たちは、設計担当者が主宰の前に立つその瞬間まで、
そしてその決断が現場で形になるその日まで、並走し続けたいと考えています。
建築の質は、最終判断の場だけで決まるものではありません。
そこへ至るまでの、名もなき準備の積み重ねによって決まるのです。
※新建築 2021年1月号 p.100 掲載
白井屋ホテル サイト
Outline
- 名称
- 白井屋ホテル / SHIROIYA HOTEL
- 所在地
- 群馬県前橋市本町2-2-15
- 設計
- 藤本壮介建築設計事務所
- 施工
- 冬木工業株式会社
- 竣工
- 2020年5月
- 使用タイル
- 炻器質二丁掛 60x200x20mm 特注酸化還元赤 粗面 目地:二瀬窯業ブリックモルタルDS-03T エイジング加工
- タイル施工
- 株式会社日本陶業
Gallery

