「代用品がない」その先にあるもの

密着張りの馬張り還元焼成二丁掛
―― レンガタイル改修のご相談から ――
先日、一般のお客様から一本の電話をいただいた。ご自宅の外壁、正確には擁壁部分に張られたレンガタイルの剥がれについてのご相談だった。施工されたのは三十数年前。話を伺ってすぐにわかったのは、この方がすでに複数の業者に電話をかけ、その都度、話を聞いてもらい、部分的な補修に数十万円という決して小さくない金額を支払ってきたという経緯だった。
三十数年前という時代背景を、まず整理しておきたい。当時の外壁タイル張りの主流は、密着張りと呼ばれる工法である。これは張り付けと目地の役割を一枚の作業で兼ねてしまう、いわば「一発張り」であり、目地を別途設けない深目地という納まりで仕上げられることが多かった。今の基準からすれば、このやり方はタイル裏の「足」部分に雨水が回り込みやすく、剥離の大きな要因になることがわかっている。適切な施工法とは、現在では言いがたい。しかし、当時はそれが標準だったのだ。ボンド張りという工法自体、まだ主流と呼べるほど普及していなかった時代である。当時の職人や業者を、今の基準で断罪することはできない。それが「その時代の当たり前」だったというだけのことだ。
問題は、湿気の多い壁面からすでにタイルが剥がれ落ち、残ったタイルも危険な状態にあるということだった。現場に伺う前に、私はまずグーグルでこのレンガタイルという素材がどのようなものかを調べ、さらにグーグルマップでお客様のご自宅の外観を確認してみた。少しでも会話に現実味を持たせたかったからだ。すると、当時この製品を焼いていた窯元がどこであったかが、おおよそ見えてきた。そして同時に、これまでこの案件に関わってきたであろう業者たちの対応の様子までもが、私の中で輪郭を持ち始めた。
案の定というべきか、この窯元はすでに存在していない。取り扱っていた商社も、建材メーカーも、とうにこの製品を廃番としている。つまり、代替品を簡単に見つけることは「無理」という結論に、あっという間に至ってしまう。多くの業者が、おそらくこの時点で匙を投げたのだろうと想像がついた。
しかし、実際にお客様とお話を重ねていくうちに見えてきたのは、意外な事実だった。お客様が本当に不満に思っていたのは、「代替品がない」という事実そのものではなかったのだ。それよりも、ご自宅に足を運んでくれた業者たちが、言葉の端々や表情、態度の中に滲ませていた「どうにもならない」「面倒だ」「お金にならない」という本音、つまり本来なら解決に導く立場にあるはずの人間の、後ろ向きな感情のほうが先に伝わってしまっていたことに、深く傷ついておられたのだ。素人であるお客様にとって、ゴールがどこにあるのかもわからないまま、その階段を一緒に上ってくれる存在がいない。そのことへの不安と孤独感こそが、本当の相談の中身だったように思う。
この窯元が持っていた還元焼成特有の色合いは、他の窯の製品と色を合わせることが実に難しい。これは私自身、過去の経験から痛感していることだ。簡単な話ではないが、だからこそ、その難しさを丁寧に説明しながら、当時のタイルがいかに価値のある色合いを持っていたかということ自体を、お客様にご理解いただくこと自体にも意味があると私は思っている。端的に言えば、補修用の代用タイルは寸法も厚みも異なり、そのまま使うことが明らかに不可能な場合がほとんどだ。そうであるならば、どこまで改修すべきか、予算はどう考えるか、そして何より、お客様が最も心配していることは何か。そこを一つひとつ探っていく必要がある。
対話を重ねる中で見えてきたのは、お客様が最も恐れていたのは、近隣を歩く人にタイルが落下して怪我をさせてしまうことだった。美観の問題以上に、この一点が最大の不安だったのだ。これは、電話口で「無理です」と告げるだけでは決して見えてこない話である。
ここで少し、業界の構造的な話をしたい。建設会社や工務店、リフォーム会社に相談したとして、電話を受ける担当者、相談に乗ってくれる営業担当が、タイルの専門家であることはまずない。職人でもない。では、その会社が下請けとして抱えるタイル業者に相談すればどうか。そこにいるのは、タイル商社の営業マンであったり、工事店の番頭さんや実際に手を動かす職人たちである。彼らが三十年、三十五年前の施工状況を詳しく知っているはずもなく、また、売上に直結しないこの手の案件に対して、まるで自分の家のように良くしてあげたいという興味と意志を持って向き合えるかどうかは、その人個人のセンスと人間性に委ねられてしまっているのが実情だ。みな、レンガタイルばかりを専門に扱う営業マンというわけではないのだから、これは無理もないことでもある。
どう解決していくかについては、ここでは詳しく触れない。ただ一つ言えるのは、都内を歩いていると、明らかに元のタイルとは異なる製品が、改修専門会社が打診検査で剥離と判断した箇所に、まるで「代用品はこれしかありません」と主張するかのように貼られている建物の外壁を、実によく見かけるということだ。しかもそれは、所有者が個人ではない建物であるほど顕著に見られる傾向がある。管理する人間と、実際にそこに住み、日々その壁を見つめる人間とが別であれば、それも仕方のないことなのかもしれない。しかし今回のように「個人邸」であれば話は別だ。お施主様にとって、それは単に「直った」で済ませられるものではなく、長年愛着を持って暮らしてきた我が家の一部なのである。
近年、補修材としてのタイルを新たに焼成してくれる工場は少しずつ増えてきている。これ自体は喜ばしいことだ。しかし、補修する枚数、納期、予算、そしてそれぞれのお客様が抱える個別で複雑な事情に対して、どこまで新たに焼く価値があるのかを見極めることもまた、専門家としての重要な判断となる。すべてを新品に置き換えることが正解とは限らないし、逆に、妥協して見た目の違う代用品で済ませることが正解とも限らない。そのバランスを、お客様と一緒に探っていく作業こそが、この仕事の本質なのだと思う。
自分がこれまで積み重ねてきた経験が、少しでもこうしたお客様のお役に立てるのであれば、それに勝る喜びはない。しかし同時に、商売として割り切ってしまう営業のあり方に対して、私はどうしても釈然としない思いを拭えずにいる。タイルという素材は、単なる建材ではなく、その家に住む人の時間そのものを表面に纏っている。三十数年という歳月をそこに感じ取れるかどうか。そこに向き合う姿勢を持てるかどうかが、この仕事に携わる者としての、一番大切な資質なのではないかと、今回のご相談を通じて改めて考えさせられた。