2025.12.24

レンガ・レンガタイル業界における停滞へのモノローグ

スクラッチタイル

技術ではなく、覚悟が問われている ――レンガを焼き続けるという決断

――気づけば、また同じ場所に立っている。

 レンガを焼き、レンガタイルをつくり、
日本の建築の片隅を支えてきたはずのこの業界で、
私たちの立ち位置は何十年も変わっていない。

いや、正確に言えば、後退しているのに、
立っている場所が変わっていないと
錯覚しているだけなのかもしれない。

 職人が足りない。これは今に始まった話ではない。
十年、二十年と前から、誰もが口にしてきた。
しかし、その言葉は警鐘ではなく、
ただの挨拶のように消費されてきた。

「若い人が入ってこない」「きつい仕事だから仕方ない」。
その一言で思考は止まり、原因の掘り下げも、
構造の見直しも、誰の役割なのかという議論も、
いつの間にか霧散していった。

 一方で、日本の建築市場における仕事量は、
確実に、しかも驚くほどのスピードで減っている。

公共事業は縮小し、民間も効率と即時性を優先する。
時間のかかる焼き物、手間のかかる素材は、
選択肢の端に追いやられる。

数字を見れば明らかなのに、現場にいると、
その実感はどこか他人事のように扱われる。

「まだ大丈夫だろう」「うちは今までやってこれた」。
その“今まで”が、もはや通用しない時間軸に入っていることを、
誰も正面から受け止めようとしない。

 利益主義という言葉は、本来、悪ではない。
利益がなければ、事業は続かず、雇用も守れない。
だが、この業界で蔓延しているのは、
自己犠牲を前提にした利益主義だ。

職人が身を削り、時間を削り、身体を削ることで、
かろうじて成り立つ価格と納期。

その上で「利益が出ない」「厳しい」と嘆く。
この構造自体が、すでに矛盾しているのに、
その矛盾を正そうとすると、
「業界の慣習だから」「昔からこうだから」
という言葉で封じ込められる。

 下請け産業としての立場もまた、思考停止を助長してきた。
元請けが決めた条件を受け入れ、与えられた枠の中で最善を尽くす。

それ自体は責任感の表れかもしれない。
しかし、その姿勢が長年続くうちに、
私たちは“自分たちで選択する”という感覚を失ってしまった。

価格も、納期も、評価軸も、誰かが決めたものに従う。
その結果が今の状況だとしたら、
少なくとも、その一端は個々の責任でもあるはずだ。

 そして、この構造を無意識のまま支えてきたのは、
設計者であり、元請けでもある。
素材の価値を理解しているはずの立場にありながら、
コストと工程の帳尻を合わせるために、最も弱い部分にしわ寄せをする。

その判断が、どれほど現場の時間を削り、
人を消耗させ、次の世代を遠ざけてきたのか。

図面の上では成立していても、
その裏側で何が失われているのかを、
どれだけ想像してきただろうか。

 設計者もまた、理想と現実の狭間で揺れていることは分かっている。
良い建築をつくりたいという思いと、
予算、工期、発注条件とのせめぎ合い。

その葛藤の中で選ばれる「現実的な判断」が、
結果として何を切り捨ててきたのか。

その一つひとつの妥協が積み重なった先に、
今の業界の姿がある。

選ぶという行為は、同時に、
未来を選別しているという事実から、
もはや目を背けることはできない。

それは、いずれ誰かが下すことになる「決断」を、
先送りにしているだけなのだから。

 生き残りとは、声の大きい誰かが救ってくれることではない。
業界団体が何かをしてくれることでもない。

最終的には、各社、各人が、自分の足で立ち、
考え、判断するしかない。

その覚悟がなければ、どんな支援策も、補助金も、
一時的な延命にしかならない。

 よく「職人を育てなければならない」と言われる。
しかし、その言葉の裏にある現実はどうだろう。
育成とは、技術だけを教えることではないはずだ。

むしろ今、必要なのは、職人生き残りのためのビジネス意識だ。
自分の技術が、どこで、誰に、どのような価値を生んでいるのか。
価格とは何か。交渉とは何か。選ばれるとはどういうことか。
これらを知らないまま、ただ“良いものをつくっていれば
いつか報われる”という幻想にすがるのは、あまりにも残酷だ。

 戦力としての職人育成どころか、
現場では「教える余裕がない」「今は忙しい」という理由で、
若手が消耗品のように扱われる。
結果、定着しない。定着しないから、また人が足りないと言う。
この負の循環を、何年繰り返してきただろうか。

 長年、立ち位置が変わらないということは、安定ではない。
それは、情報と意識の更新が止まっているということでもある。

外の世界は、技術も、流通も、価値観も、猛スピードで変わっているのに、
この業界だけが、昭和の成功体験にしがみついている。

その結果、知らないことが増え、
考えないことが当たり前になり、危機感すら鈍っていく。

 サラリーマン的な受け身の姿勢では、何も変わらない。
指示を待ち、環境のせいにし、誰かの判断に従うだけでは、
衰退のスピードを緩めることすらできない。
これは、厳しい現実だが、目を背けても消えてはくれない。

 それでも、レンガを焼く火を止めたくないと思う自分がいる。
土を選び、火を見つめ、時間をかけて生まれる質感や重みには、
数字だけでは測れない価値がある。
その価値を守るためには、感情論ではなく、
現実と向き合うしかない。

 変わらなければならないのは、技術だけではない。
意識だ。立場だ。覚悟だ。

下請けだから、職人だから、地方だから、
年を取ったから――そうした言い訳を一つずつ手放した先にしか、
次の一歩はない。

 このモノローグは、誰かを責めるためのものではない。
設計者や元請けだけでなく、私たち職人側もまた、
決断を避け、考えることを怠り、
変わらない立ち位置に安住してきた。

その現実を含めた、自分自身への問いかけだ。

私は、このまま同じ場所に立ち続けるのか。
それとも、火の熱さに耐えながら、
別の場所へ踏み出すのか。

答えは、もう分かっているはずなのに、
決断だけが、いつも最後まで残る。